灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし -4ページ目

P・D・ジェイムズ『女の顔を覆え』(ハヤカワ文庫)★★★☆☆

 

 

1962年発表のジェイムズの処女作。ダルグリッシュが初めて登場する作品でもある。

 

跡取り息子と婚約したばかりのメイドが殺害されたイギリスの旧家を舞台に、特に派手な展開もなく、聞き込み捜査とともに明らかになっていく人間模様をひたすら読まされる一編。

 

被害者の人物像のほとんどが、証言や回想に依っており、彼女の真の姿が一向にわからないというもやもやした感じが本書の特徴で、逆にいうと、家族にとって侵入者ともいえるメイドをめぐる錯綜した思惑が読みどころとはいえる。

 

しかしミステリ的な妙味には乏しく、さらにダルグリッシュも本当に影が薄い。

 

正直、ジェイムズの処女作という以上の価値はない。

 

★★★☆☆

 

Cover Her Face. 1962

 

 

笹本稜平『その峰の彼方』(文春文庫)★★★☆☆

 

 

ときどきいますよね? 何をしてるわけじゃないのにひとを惹きつけて、なんとなくみんなが集まってくるような、人格者というか人気者というか。

 

この本は、好き勝手に生きていているけれども、何の飾り気もなく、ひたすらマッキンリーに添い遂げようとする男が、約束を破り単独行で遭難し、友人たちに救助されるというもの。

 

もちろん、こんな書き方をすると興ざめ甚だしいのはよくわかるんだが、山岳小説って、要は山が書ければいいわけで、そこが世俗といかに切断された別の次元かってのを、ひたすら読者に叩き込めば成功。

 

新田次郎や夢枕獏はそうだったし、井上靖はその点で失敗していたと思うが、本書も山を書ききったかというと、やや物足りない。

 

ストレートに山を描くだけでは物語に膨らみが出ないだろうっていう作者の目論見が仇となり、インディアンのアイデンティティや教えの開陳であったり、アラスカにホテルを建てようなんていうプロジェクトや、そもそも男はなぜ掟破りの単独行に向かったのかというテーマが並行してボリュームを増したため、山岳で苦闘する救助隊、男がいかにして遭難にいたったのかという山岳シーンがぶった切りでしか提示されず、緊張感を削がれる結果となった。構成的にも、もう少し山に焦点を当ててよかったと思う。

 

また、人はなぜ山に登るのかというテーマは問い続けるべきだし、書くに値するものだと信じているが、わたしは自然の一部であり、また自然はわたしなくしてありえないといった結論は、もちろん妥当であるとしても、上記したようにぶった切り山岳シーンのためにあまり共感することができなかった。

 

そういえば、男がなぜかくも魅力的なのかについては、登場人物たちの行動や言葉でしか表現されず、それは人物の提示としてもひとつのやり方なのだが、いまひとつ彼の底なしのカリスマぶりが伝わってこなかったのも、残念なポイントだった。

 

作者の意気込みはものすごく伝わってくるのだが、冗長さと半端さでもったいないなというのが正直なところ。さすがに山岳シーンは迫力があり、もっともっと読んでいたいと思われるだけに、同作者の別の作品を手にとってみるつもり。

 

★★★☆☆

 

 

 

 

稲垣志代『夫 稲垣足穂』(芸術生活社)

生さぬ仲の娘を連れ、50歳の足穂と再婚した作者による、自身の半生と足穂の日常。

 

稲垣志代

 

 

看護師・助産師でありながら僧籍をもち、福祉行政に携わっていた作者による、稀代の異次元作家・「怪物のような人」稲垣足穂との日々を綴る。

 

そばにいたら頭がおかしくなるような足穂に長年付き添った作者は、彼を次のように評する。

 

タルホは親切で、細やかなところがあるかと思えばエゴイズムなところもある。自分にも他人にも峻厳で容赦ない一面と、どこの寄席に出しても引けをとらないようなユウモリストな一面がある。また世間の苦をまるでひとりで背負っているかのような罵倒をあびせかけられると、こちらも腹が立ち、うしろから丸太ん棒で叩き伏せてやりたくなるほどであった。

 

これだけ見ると、扱いにくいが才能に溢れた奇人に長年付き添った妻の煮えくり返った腸を読まされるんじゃないかと思うかもしれないが、淡々と自らの思いを抑制して綴られる足穂の人となりは、決して嫌なものではない。むしろ「ユウモリスト」なところを多く描いている。

 

これは足穂の存命中であるがゆえの遠慮なのかもしれないが、それにしては彼の恋文が丸々引用されたり、口調まで浮かびあがるような会話の端々、むしろよく足穂が許したなと思えるような大胆さもうかがえる。

 

つまり、この夫婦、信頼しあっているのだ。

 

作者は書いている。

 

一日一日が一期一会だという彼には、愛情という接着剤では引きとめようがないのではないかと思っていたが、いつのまにかひとつ屋根の下で、二十年近く過ごしてきた。これも新しい感じで、日々を送り迎えたことによるのだろうか。

 幾春秋を通しての人間関係やできごとも、詮じつめると、喜怒哀楽のリズムであったような気がする。一生忘れないだろうと憎み嫌ったことも、年月とともに薄らぎ、思い出してみて、感情のしこりはもはや腹ごたえがなくなっている。うれしかったことは、いつ取り出してみても輝きを失わないで、ほのぼのと生きている。

 

素敵な夫婦ではないか。

 

★★★★☆