稲垣志代『夫 稲垣足穂』(芸術生活社) | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

稲垣志代『夫 稲垣足穂』(芸術生活社)

生さぬ仲の娘を連れ、50歳の足穂と再婚した作者による、自身の半生と足穂の日常。

 

稲垣志代

 

 

看護師・助産師でありながら僧籍をもち、福祉行政に携わっていた作者による、稀代の異次元作家・「怪物のような人」稲垣足穂との日々を綴る。

 

そばにいたら頭がおかしくなるような足穂に長年付き添った作者は、彼を次のように評する。

 

タルホは親切で、細やかなところがあるかと思えばエゴイズムなところもある。自分にも他人にも峻厳で容赦ない一面と、どこの寄席に出しても引けをとらないようなユウモリストな一面がある。また世間の苦をまるでひとりで背負っているかのような罵倒をあびせかけられると、こちらも腹が立ち、うしろから丸太ん棒で叩き伏せてやりたくなるほどであった。

 

これだけ見ると、扱いにくいが才能に溢れた奇人に長年付き添った妻の煮えくり返った腸を読まされるんじゃないかと思うかもしれないが、淡々と自らの思いを抑制して綴られる足穂の人となりは、決して嫌なものではない。むしろ「ユウモリスト」なところを多く描いている。

 

これは足穂の存命中であるがゆえの遠慮なのかもしれないが、それにしては彼の恋文が丸々引用されたり、口調まで浮かびあがるような会話の端々、むしろよく足穂が許したなと思えるような大胆さもうかがえる。

 

つまり、この夫婦、信頼しあっているのだ。

 

作者は書いている。

 

一日一日が一期一会だという彼には、愛情という接着剤では引きとめようがないのではないかと思っていたが、いつのまにかひとつ屋根の下で、二十年近く過ごしてきた。これも新しい感じで、日々を送り迎えたことによるのだろうか。

 幾春秋を通しての人間関係やできごとも、詮じつめると、喜怒哀楽のリズムであったような気がする。一生忘れないだろうと憎み嫌ったことも、年月とともに薄らぎ、思い出してみて、感情のしこりはもはや腹ごたえがなくなっている。うれしかったことは、いつ取り出してみても輝きを失わないで、ほのぼのと生きている。

 

素敵な夫婦ではないか。

 

★★★★☆