灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし -7ページ目

島田一男『殺人捜査本部』(天山文庫)

島田一男

 

昭和20年代~40年代にかけて発表された警察ものを雑多に収録した短編集。非シリーズものを収めたということらしいが、元々作者はキャラの書き分けができない人なので、誰が出ていても大して違いはない。

 

島田一男といえばやはり初期のトリッキーな作品に魅力があり、とんでもない機械的トリックをそこらの変哲もない警察官たちが解決していく異様なアンバランスさが読みどころといえるだろう。

ところが、そのような本格趣味はごくごく一部にとどまっていて、大半は警官と記者が馴れ合っているだけの凡作である。

さて本書は、密室ものをふくむ比較的本格趣味の強い作品が集められている。

蓄音機の交響曲が流れるなかでの女性声楽家の密室殺人、首を切られたうえに手首を切断されたクラブのママさんの謎、伊豆の駐在所を舞台に犯罪遺児と戦地からの引き上げという今ではなんのことやらさっぱりわからないトピックだったり、水商売女性の扼殺を描いてオチにエログロ風味を押し出すとか、ひとは果たして自殺前に干し柿を作るのかという素朴な疑問から密室のからくりが暴かれるといったように、パっと見粒は揃っているような感はある。

ただし本格趣味としての見どころは、首なし死体からなぜ手首を切断する必要があったのかという点ぐらいだろう。

概して、日本ミステリマニア以外は読む必要がない作品集といえる。

 

★★★☆☆

 

松本輝夫『谷川雁 永久工作者の言霊』(平凡社新書)

 

 

 

詩人・思想家・オーガナイザーとして圧倒的魔力を奮った筑豊炭鉱時代から、炭鉱闘争後の児童教育に没頭する雁、その会社の労組と対立する雁など、知られざるその姿を概観する。新書での上梓が驚きの一篇といえる。

 

雁は、「私の中の『瞬間の王』は死んだ」といって詩作をやめてしまうわけだが、彼の本質は基本的にことばに寄り添うことなのだと、本書にて気付かされる。

なぜならひとびと、たとえば炭鉱で死と隣で日々の暮らしを営むひとびとの「原点」で沸き立つエネルギーは言挙げされることで、彼女らを結びつける。結びつき、連帯の原点はさらにひとを動かす。

それが筑豊ではサークル誌であったのだろうし、大正鉱業闘争後の児童教育、いわゆる「ラボ」ということなのだろう。

ラボ入社後の雁を描くに当たり、筑豊時代とラボ時代の双方を知る作者ほどの適任者はいないはずで、実は雁というひとが、ふたつの時代を貫いてぶれていなかったと断言できる胆力は相当なものだと思う。

ただし、「原点」だとか「工作者」であるとか目眩のするような雁の文章を読んでいたものとしては、本書のように雁の考えが綺麗にまとまってしまってもいいのだろうかという気がしないでもない。 

とはいえ、谷川雁はもとより戦後思想、言語教育に興味あるひともぜひ読んでほしい。

 

ここだけの話だが、webで本書のタイトルを見たとき、「え、大川隆法って雁まで取り上げるのかよ」と驚愕した記憶がある。

 

永岡慶之助『紅葉山―富岡製糸場始末』(青樹社)

 

永岡慶之助『紅葉山―富岡製糸場始末』(青樹社)

 

先週読んだ『日本浪人史』を上梓した西田書店が、刀江書院の業務を引き継いだ骨のある出版社であることから、そういえば刀江書院を作った尾高豊作の祖父が富岡製糸場の初代所長だったよなあと書棚を漁り、我が家で唯一の富岡製糸場についての本書を手に取る。

日本初の官営製糸場、創設までのその苦難が描かれた重厚な作品に違いないと思いきや、冒頭、幼い娘を連れた浪人が製糸場所長の尾高と感動の再会を果たし、期待はあっけなく破られる。

その後、富岡の絹糸商に身を寄せた父は彰義隊の生き残りであるがゆえに新政府への出仕を肯んぜず、矜持を守らんと市井で頓死、その息女が富岡を皮切りに日本製糸産業とともに成長していくといった話。

ここには、たとえば医学を志しながら女性であることによる苦闘を膨大な史料をもとに描き出した吉村昭『ふぉん・しいほるとの娘』のような、挫折であったり葛藤は描かれることもない。

あまりに平板なため作者もさすがにいけないと思ったか、娼婦に入れ込み身を持ち崩した糸問屋若主人のサブストーリーも展開されるが、とってつけた感は否めない。

また直木賞選考委員からも指摘されていたが、文体の古臭さ、こなれなさも目につき、まだまだ未成熟な作品といえるだろう。

それでも当時の製糸業界の一端を垣間見ることができるという意味では貴重な一編だし、深みはないにしてもエンターテイメントとしては悪くない。


ちなみに尾高豊作の祖父・尾高惇忠は渋沢栄一の従兄であり、渋沢栄一の娘と結婚したのが「日本の製紙王」と呼ばれた大川財閥の大川平三郎、その孫が「ライアン」の大川慶次郎

ちなみに大川平三郎は尾高惇忠の甥にあたるから、もう訳がわからない。

さらに渋沢栄一の伯父の玄孫が澁澤龍彦であったり、数多の著名人が陸続と名を連ね、いわゆる名族といわれる一門である。

渋沢一門の家系は複雑だが、以下の史料に含まれる家系図がもっともわかりやすい。

深谷市編「「渋沢栄一翁と論語の里」整備活用計画~ 道徳経済合一説発祥の地 ~