金日成選集刊行委員会編訳『金日成選集2 祖国解放戦争の時期』(三一書房) | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

金日成選集刊行委員会編訳『金日成選集2 祖国解放戦争の時期』(三一書房)

「この選集が数万を突破し、アメリカ帝国主義者、吉田売国内閣、李承晩カイライ政権の心胆を寒からしめるとともに、日々の闘争の理論的武器として、紙の弾丸たる役目を十分にはたしてくれることを期待しています」

 

金日成選集〈第2巻〉祖国解放戦争の時期 (1952年)

 

本書に挟まれていた月報のメッセージだが、三一書房編集部、本気である。

この米帝、売国内閣、カイライ政権といった懐かしく涙が出てきそうなことばからもすぐわかるが、本書が刊行された1952年は、ちょうど日本共産党が51年綱領に基づき暴力による国家転覆を目指していた時期。

共産党公式ホームページでは、以下のように説明されている。
 

1950年台
・「自主独立」を確立、武力革命おしつけを拒否
旧ソ連、スターリンが日本に武力革命方針を押しつけ、党が分裂。他国から干渉を受けない「自主独立」の立場を確立し、武力革命路線も明確に否定しました。



さらっと党が分裂とあるが、この武力革命路線とは、分裂したほうのやらかしたことであり現在の党はそんなこととは一切無関係ですよ、というのが共産党の公式見解である。

具体的にいえば、徳田球一・野坂参三と敵対した共産党の支配者宮本顕治の系譜を次ぐ現行指導部が「わたしたちはいつも平和路線でしたよ」と宣言しているわけである。

共産党がこのようにいう根拠は、ミヤケンが1955年7月27日の六全協によって党に復帰するまでのあいだ、党籍はあっても党の活動を行うことができなかったという点にある。要は俺が不在のあいだ、臨中指導部が勝手に暴力革命路線をやらかしたのだ、と。

ところが社会運動研究家の宮地健一によると、ミヤケンは1951年秋には自己批判を行い、党中央とともに地下に潜り宣伝教育部門の活動を行っていたというのである。

宣伝教育部門とは非合法文書の作成や配布を行う部署であり、この時期、かの有名な軍事方針を論じた「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」「軍事行動の前進のために」、時限爆弾の作り方が簡潔にまとめられた「栄養分析表」や非合法員を「孟子」と呼びその任務を説き明かす「孟子抄」等を上梓しており、ミヤケンはこれら非合法文書に関わっていたということになる。

ミヤケンが宣教部にいたという話は、彼自身の覚書によるものであり、素直に信じれば事実であろう。つまり共産党の公式党史はこのあたりを誤魔化しており、結局のところ共産党は暴力革命を志向した五全協・臨時中央指導部の末裔なのである。

では、当時の日本共産党が発行していた文書から、その雰囲気がうかがえるものをいくつか引用してみよう。

中核自衛隊[…]この組織の特徴は、工場や部落や町や学校を基礎にして、軍事行動を行うことにある[…]
中核自衛隊は、武装した組織である。従って、これを組織すると同時に、あらゆる努力を払って武器を持ち、これを運用する技術を習得しなければならない[。]武装と武装行動に必要な軍事教育、軍事訓練は、中核自衛隊にとって、欠くことの出来ないものである。
中核自衛隊の主要な補給源は、敵である。中核自衛隊はアメリカ占領軍をはじめ、敵の武装機関から武器を奪いとるべきである。[…]札付きの反動警察官等を襲い、武器を奪うことも出来る。われわれは、これを行わなければならない。[…]敵を襲撃するために必要な、輸送車用のパンク針、手榴弾、爆破装置のような簡単なものは、直ちに製作することが必要である。(「中核自衛隊の組織と戦術」『球根栽培法』36号)*1
ラムネ弾[…]敵の集団上で破裂した場合は、敵の露出部分、殊に神経系統の集中した顔面(目、耳、口等)にガラス破片がさされば、死に至らしめる程の傷害でないとしても、いたみ出血のために集団行動を相当混乱させ得よう[…](『栄養分析表』)。


さて、こういった共産党の状況に筆を割いてきたのはいうまでもない。かくなる五全協下の共産党の動向を知らずして、本書『金日成選集』の意味は理解できないからである。

というのも、当時の日本共産党の対朝鮮戦争戦略とは日本という米軍補給基地を武装闘争にて撹乱し、北朝鮮を後方から支援することだったといえ、本書はその一環として北朝鮮への支持と反米世論喚起を狙った「紙の弾丸」というわけである。いわば、本書は朝鮮戦争の一部なのである。

 

残念ながら当時この選集がいかほどの反響を呼んだかはさだかではないし、朝鮮戦争に寄与したとはとても思えないのだが、後年発刊された金日成の著作には見られない驚くべき特徴がある。

 

それは本書には、1930年代から主張されてきたという「主体」思想が、欠片も見当たらないということだ。

 

よく知られているように、主体思想は北朝鮮を貫く憲法にも活動の指導的方針と明記された指導原理である。それが「祖国解放戦争」のさなかに、一度も謳われることがないとはおかしな話だろう。

 

では、そもそも主体思想は一体どのようなものか。

 

それは、ソ連・中国にずるずるべったりと依存していた1940-1950年代の忌まわしき過去を自己否定するためのルサンチマンに満ちたもので、身も蓋もなくいえば、中ソ論争のさなかに、大国にできるだけ頼らず、第三世界共産主義の盟主たらんと、生き残りを賭けてアピールするためのネタであったといえる。

 

そこから考えれば内容は想像がつくだろうが、要は政治も経済も、ひとりでがんばるもんという思想である。

 

とすれば、朝鮮戦争期の演説等を収めた本書に主体思想が出てくるわけがない。何しろ朝鮮戦争とはソ連の援助を当て込んだハナから他力本願の情けない代物で、本書のいたるところにスターリン大元帥マンセーと金主を絶賛する太鼓持ちぶりを見ることができる。

 

たとえば、こんな具合だ。

 

[朝鮮戦争において歴史的成果を勝ち取ったのは、]偉大なソヴェト軍隊が、約半世紀にわたる日本帝国主義の奴れい的生活のもとで呻吟していたわが朝鮮人民を解放し、その後約五年間の平和な主建設を実施しうるよう一切の条件をあたえてくれたおかげである。(万雷の拍手)*2

 

朝鮮人民は、偉大なスターリン憲法──世界でもっとも民主的な憲法──の影響が最高人民会議で採択された朝鮮民主主義人民共和国憲法に反映していることを誇りとしている。*3

 

 

もちろん、「中国人民の指導者毛沢東主席万歳!」と毛沢東を持ち上げることも忘れていない──なお本書がマッカーサーによる仁川上陸作戦後のものであることは、留意しておいてよい。

 

逆にいうと、本書刊行時には主体思想なるものは全く存在していなかったことが本書からわかるわけだ。もちろん朝鮮人の前でのみ主体思想を開陳していた可能性はなくもないが、後年大々的に著作集にて主体思想がお披露目されているところを見ると、それは勘ぐり過ぎと言えるだろう。*4

 

本書の価値は、このような金日成のアリバイ崩しのネタであること以外には存在しない。実際、本書に収録されたものは、その後の選集・著作集の類には一部を除き一切載せられていない。つまり本書は、金日成の黒歴史集なのである。

 

本書を「紙の弾丸」と誇らしげに名付けた三一書房の編集者は、まさかこれが禁書じみた一冊になるとは夢にも思わなかっただろう。

 

まとめると、本書は以下のようなひとが手に取るとよい。もちろん、共産趣味者も一読して損はない。

 

・朝鮮戦争時の三一書房のノリを知りたいひと

・朝鮮戦争時の金日成の生の声を知りたいひと

・初期金日成のプロパガンダに興味があるひと

 

 注

*1 『球根栽培法』 / 家庭園藝研究会編 ; [1951,10,3]

*2 「八・一五第六周年記念報告」

*3 「大十月社会主義革命と朝鮮人民の民族解放闘争」

*4 主体思想の初出等、金日成の信頼できる評伝として徐大粛『金日成』(講談社学術文庫)を挙げる

 

★★★★☆