「自然と人情が溶け合って醸し出す、都会というものの美点」永井龍男『朝霧・青電車その他』 | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

「自然と人情が溶け合って醸し出す、都会というものの美点」永井龍男『朝霧・青電車その他』

nagai
永井龍男『朝霧・青電車その他』(講談社文芸文庫)

大正9年のデビュー作から昭和25年までの初期作品を収めた一編。戦前の、え、もう終わりなの? という肩透かしが影を潜めた敗戦後の諸作品のほうが、よくも悪くも完成度は高い。

ちなみに神田界隈に故郷とするだけに、都市を単純に消費と享楽と接合するような観点が特に見られないのはひとつの特徴か。その人物が「都市」をいかなるものとしてとらえているかといった思考は、日本の知識人を区別するひとつの指標足りうる。

本書に「自然と人情が溶け合って醸し出す、都会というものの美点」といういささか奇妙なせりふを見出すが、「都会」なるものが「混凝土文化」へと本格的な変容を開始するのは、東京オリンピックのあたりからだというのは記憶しておいていいかもしれない。

「日本人の生活意識というか生活感情というか、そういうものが、混凝土[コンクリート]の道路が延長するたびに、少しずつ変化して来ては居ないかな? 都会文化という言葉があるが、私はそれを混凝土文化と云いたいんです。舗装道路が東京に一尺延びると、混凝土文和が一尺浸透して来ましたよ。柔らかい土の面が少しずつ覆われ、我々の眼に見えない貴重なものがそこから失われて行った、大正、昭和と。
 しかし、国家的な見地から云って、日本が今後益ゝ混凝土を必要とする事に疑いはないので、我々の気質とか風習とか、我々の大事なものを失わない為の鍛錬が、一方で非常に大切になって来ると思うのだが、一人合点でしょうかな。『都会』という言葉が混凝土都市の代名詞になって、ビルが建つ、官庁が建つ、その土地土地の自然と人情が溶け合って醸し出す、都会というものの美点が失われて、集団生活の為の一単位になる。人も物もさらにその下の小さな単位としての存在になって了う、これでは不可ないと思う。私達の時代の、玄関の三和土と共同水道の流しでは、これは困りますがね」「手袋のかたっぽ」(1943・4『文学界』)

★★★☆☆