「阿部薫が好きです」:稲葉真弓『エンドレス・ワルツ』(河出文庫) | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

「阿部薫が好きです」:稲葉真弓『エンドレス・ワルツ』(河出文庫)

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稲葉真弓『エンドレス・ワルツ』(河出文庫)

昭和40年代は1970年代なのか1960年代なのか。或いはそれらは昭和40年代だったのか。昭和30年代と昭和50年代の狭間と呼ぶ昭和40年代ではなく、1960年代と1980年代をつなぐ1970年代。

近年の異様ともいえる鈴木いづみリバイバルは、年号と西暦のずれなど気にも留めない健全なひとたちの、エキセントリックな好奇によるものなのだろうか。

たとえば『エンドレス・ワルツ』を読み、感動した、涙が出た、愛だ、速度だと感想を抱けることへの憧憬。少なくとも本書に幸福は一切存在しない。描かれるものはただ1970年代なのであり、カオルとイヅミが阿部薫と鈴木いづみだと想定し、残された演奏の合間の阿部、彼に殴られ虐待され続ける鈴木の個人史を覗き見る読者のまなざしは、果たしてそこに愛を発見するのだろうか。



阿部薫が好きです。阿部を幾たびも聴いたものならば、そのことばの異様さに気づくのではないだろうか。聴くものを手で突き遠ざけながら、もう片方の冷たい手で胃を掴んで離さない。聴かざるをえない。快ではない。圧倒的不快。

おそらく鈴木いづみも不快だったに違いない。なぜなら相対するものをその手で遠ざけ掴み離さないのは、彼女も同様なのだから。

★★★☆☆


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