武装闘争は「愛される共産党」にふさわしいか/スウェアリンゲン、ランガー『日本の赤い旗』 | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

武装闘争は「愛される共産党」にふさわしいか/スウェアリンゲン、ランガー『日本の赤い旗』

アーサー・スウェアリンゲン、ポール・ランガー
日本の赤い旗―日本共産党三十年史(1915年-1952年)』(コスモポリタン社)1953

戦前・戦後にわたって一貫した記述をもつ日本共産主義運動にかんする最初の英文歴史書であり、当時未公開であった日本の極秘資料を利用している。冷戦の時代に書かれたにもかかわらず、かなり客観的に記述されている」(Stefano Bellieni)。

昭和27年=1952にライシャワーの序文をつけて上梓された一編で、その誕生から1951年近辺までを概観した日本共産党史である。

注意しなければならないのは、この訳書が出版された時期の共産党なるものの存在自体で、現在のような大衆のルサンチマンに訴えかけるだけの万年野党ではなく、1950年の四全協、さらに翌年の五全協にて具体化したいわゆる「51年テーゼ」に基づき、それっぽいことばでいえば「極左冒険主義」的な武装闘争を綱領に掲げる、字義どおりの戦闘的革命集団であった。

いわゆる「球根栽培法」「栄養分析表」といった武装教本が地下流通し、火炎瓶、硫酸瓶などを用いた都市ゲリラ、或いは「山村工作隊」が活発に動いていたのもこの時期である(前者については脇田 憲一『朝鮮戦争と吹田・枚方事件―戦後史の空白を埋める』の巻末に収録されているので、現在でも容易に読むことができる)。

こういった政党が支持されるわけもなく、1952年の衆院総選挙では全員落選の憂き目にあるのだが(ちなみにこの選挙にて、かの辻政信が石川一区でトップ当選を果たしている)、これはもちろん野坂参三の「愛される共産党」なる平和革命路線からの転換を果たしたのだから当然であり、この時期のいわゆる「国際派」と「所感派」の対立は、共産党内ではおおっぴろげに触れられない黒歴史である。

なお現在の日共のサイトには、この「五〇年問題」についての記述はない。代わりに彼らが武装闘争もしくはテロについてどのように考えているかを以下に引用しておく。

kyousannto

[科学的社会主義はテロをどうみているの?

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 〈問い〉 テロリズムについて、科学的社会主義の理論では、社会進歩の運動を妨害するものとして批判されていると聞きましたが、本当ですか?(大阪・一読者)

 〈答え〉 科学的社会主義は、人民大衆の力こそが歴史をつくり社会進歩をおしすすめるという考え方に立っています。ですから、社会変革の事業はその国の人民の政治的自覚と、それを基礎にした人民自身の意思と行動によっておこなわれるものであり、暴力やテロで政治や社会の変革が実現できるという考えは科学的社会主義とはまったく無縁です。

 たとえばレーニンは、「たとえツァーリ(当時のロシアの皇帝)の暗殺が百回ほどおこなわれようと、何万人という働く人民がたんに彼らの切実な利害やこれらの利害と政治との結びつきを討議する集会に参加するほどの…効果をあげることはけっしてできない」と述べています。レーニンが指導したロシア社会民主労働党第2回大会は、「政治闘争の方法としてのテロル、すなわち個人的な政治的暗殺の方法を、断固として否認する」と決議しました。

 日本共産党は、1975年1月の中央委員会で、当時大きな問題となっていた「過激派」による爆弾テロと、暴力集団の「内ゲバ」テロ、右翼暴力団によるわが党幹部をねらったテロ事件、「部落解放同盟」の暴力を含めた「四つの暴力全体に反対する」ことを明らかにしました。また、1980年代に北朝鮮が起こしたラングーン事件などの一連のテロ行為に対して、「テロや暗殺などは社会主義、共産主義とは無縁のもの」と厳しく批判しました。01年9月の同時多発テロ事件に対しては、国連憲章にもとづく国連を中心にした措置によって容疑者を拘束し“法にもとづく裁き”を受けさせるよう主張して、アメリカによる報復戦争に反対しました。

 日本共産党のこの立場は、党綱領の第4章12節にも「一般市民を犠牲にする無差別テロにも報復戦争にも反対し、テロの根絶のための国際的な世論と共同行動を発展させる」と明記されています。(哲)

 〔2007・2・28(水)〕]
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五〇年問題を身をもって潜ってきたひとには、















nagata












って感じだろうな。

レーニンが云々っていう部分も正直にいうと噴飯ものなんだが、それ以上に自分たちもかつては同じ穴の狢であったことを露見せず、平和平和と連呼するのはどうだろうか。彼らは状況によって自在に柔軟に戦略もしくは戦術を変更するということを快く思わない。というのも、彼らは「科学的」かつ「客観的」「真理」であるマルクス主義に基づいて動いているわけであり、「真理」が誤るはずがないのである。となるとその適用が下手であったということになるが、「真理」の担い手がそのような悪手を打つわけもなく、錯誤の原因は彼ら以外のもの、たとえば意見を異にする「トロツキスト」或いは予想以上に根強い「封建制」の残滓といったものへと転嫁される。

共産党はつねに正しい。共産党=「真理」が大前提として先行するのである。これこそが、彼らを胡散臭く見せる要因のひとつであることはいうまでもない。素直に「自己批判」を要する点だろう。いや「自己批判」は、その完了を判定する存在が必要であり、端的にそれは共産党そのものである。唯一の「真理」は自らを否定できない。しかし先日、「共産党の天皇」宮本顕治が死去したことに伴い、戦前共産党の伝統はここに消滅したともいえる。彼らがその性格を変容させ「愛される共産党」を目指したいと思うならば、好機はいまだろう。


さて、こういった時期にほぼリアルタイムで、しかも外部から比較的冷静に叙述された共産党史に価値がないわけがない。というよりも、当事者でない人間が「五〇年問題」についてそこそこの資料を使いながらかなり大雑把に概観してゆくところに、本書の見所はある。

戦前の部分も、暁民共産党の近藤栄蔵をやけに重視し大杉栄がろくに顧みられない点や、福本主義についての説明がなさすぎることなどをのぞけば、比較的よくまとまっている。概して思想云々というよりも運動史からの一編であり、「明るみに出た思想戦の内幕三十年史」という副題は信用しないほうがいい。また訳語もさほどよいものではない。

しかしながら、戦後日本共産党史を考えようとするとき、本書が出発点の一冊になるのは間違いないだろう。当事者もしくは関係者のそれがあまりに多すぎ、模糊としたテーマではあるが、前述したように日本語に通じた共産党とは無関係のアメリカ人が執筆したというだけでも、本書は有用である。

★★★★☆


Arthur Swearingen, Paul Langer
Red Flag in Japan: International Communism in Action, 1919-1951