きこえなかった「こえ」:保阪正康『「きけわだつみのこえ」の戦後史』 | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

きこえなかった「こえ」:保阪正康『「きけわだつみのこえ」の戦後史』


保阪 正康
「きけわだつみのこえ」の戦後史』(文春文庫)

さるweb書店に掲載されていた、本書に関する書評がいつの間にか全文削除されていた。内容が「誹謗中傷」に該当したらしい。当ブログと同じ要領で書いたのがいけなかったのだろうか。

しかし、だ。そこでの書評とは、すべて本書の内容を忠実に敷衍しただけのことであり、「わだつみ会」の権力を獲得しようと遺族のことなど少しも考えることなく、とてつもない策謀と工作を繰り広げた連中のことを、本書にならって実名で挙げたに過ぎない。

確かに語は行き過ぎていたかもしれない。しかし本書に登場するさるドイツ文学者らの姿は、戦没学徒の「こえ」を踏みにじってとどまるところを知らない。戦地に散った学生たちは、彼らの権力抗争の具になるために、かの書簡、手記を書いたわけではないのだ。戦没学徒たちの本当の「こえ」を伝えるのはわれわれだとし、正統性を我がものにせんと政争を展開するその姿は、端的にいって最悪である。

本書は『きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記』がいかにして成立し、どのように政治的に利用されたかを明らかにしたノンフィクションである。ただただ岩波文庫を信頼して、戦没学徒たちの「こえ」を読んでいたわたしに、それがどういった政治抗争の果ての産物なのかを教示してくれた。

戦争の傷痕はもちろんのこと、遺族や残された手記などが「戦後史」のなかでいかなる位置を占めているのか、「戦後」がいかに「戦前」を扱ってきたか、そして「戦後」と「戦前」が切断されながらも「連続」していることを知るには必読の一冊である。

この本は危険だ。さまざまな意味で。そして筆舌に尽くしがたい傑作だ。読めば、わかる。とりあえず、それだけを言っておく。

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