皇帝のかぎ煙草入れはどこにある?:ディクスン・カー『皇帝のかぎ煙草入れ』(創元推理文庫) | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

皇帝のかぎ煙草入れはどこにある?:ディクスン・カー『皇帝のかぎ煙草入れ』(創元推理文庫)



ジョン・ディクスン・カー
皇帝のかぎ煙草入れ』(創元推理文庫)

昭和18年発表、おなじみのおでぶ名探偵は登場しないが、カーのなかでも著名な一編で、特にクリスティが賞賛したことで知られる。

舞台は北仏の避暑地。ある秋の深更、ナイトの称号をもつ老人が殺害される。ちょうど彼がその日に入手したナポレオンの「かぎ煙草入れ」を眺め悦に入っていたところを襲われたのか、それもろとも火かき棒でぶん殴られて。

その撲殺された老人を、彼の息子の婚約者である真向かいに住む女性が目撃する。ところが折悪しくも離婚し縁を切ったはずの前夫が彼女の部屋に無理やり押し入っているさなか。婚約者の手前もあり、当然目撃したことを告白できず過ごすのだが、あにはからんや彼女自身が容疑者として逮捕される。

これだけならば単なる冤罪もので終わってしまいそうなのだが、前夫のみ現場にある人物がいたことを目撃したという胡散臭い状況設定。しかし本書はトリッキーなギミックやら何かがあるというよりも、「目撃」を中心にした案外オーソドックスな作品で、人間がものを「見る」とは、網膜にて取り込んだものをそのままダイレクトに認識することと同一というわけではなく、再構成を経る必要があることと関係してくる。いかにもクリスティが好みそうな話ではある。

その意味で本書はカーの味わいであるごてごてした趣は皆無で、スマートに仕上がっているといえる。それに対応させたのか文章もやたらと読みやすい。したがってこれがカー独特の魅力かといわれるとやや首を傾げざるをえない。それなりの完成度を誇っているにしても、これこそカーですと自信をもって推奨しうる一編ではない。

なお「目撃」「見る」ということは登場人物にのみ問われることではない。読者たるわれわれも、本書を手に取りまじまじと凝視することで、見えてくる何かがあるかもしれない。

snuff
John Dickson Carr
The Emperor's Snuff-Box, 1943
★★★★☆
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ