飯沼和正『あるのかないのか?日本人の創造性―草創期科学者たちの業績から探る』 | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

飯沼和正『あるのかないのか?日本人の創造性―草創期科学者たちの業績から探る』

飯沼 和正
あるのかないのか?日本人の創造性―草創期科学者たちの業績から探る』(講談社ブルーバックス)

北里柴三郎、高峰譲吉、長岡半太郎、池田菊苗、夏目漱石、鈴木梅太郎といった6人の明治草創期の学者たちの業績を振り返り、日本人は創造性が乏しいという巷説をとりあえず否定する一編。

しかし個性に富んだ人間がそのまま受容されるかというと、日本における「タテ型社会」(中根千枝)はそれらを拒絶しがちである。権威や上司への追随を旨とする社会もしくは組織はそういった逸脱した人間をすんなりと認めることなく、むしろ枠内から外れるものとして忌避しがちである。組織の撹乱を恐れるがゆえに。

したがって日本人に創造性が欠落しているのではなく、それを許容する組織、社会が存在しないことが、その発揮もしくは飛躍を妨げるということになる。本書では出てこないが、例の八木アンテナなど典型例といえるだろう。

そういったよくある話が、東京帝大を支配した青山胤通による北里や鈴木への攻撃をたどることでより明確に理解できるのだが、作者はこういった前「近代」的な日本の様相を単純に否定するのではなく、西欧型の「近代化」と日本型のそれを区分し、「模倣による工業化」という特徴をもつ後者が明治以降それなりに効果を発揮したとする。つまり西欧とのタイムラグが埋まるまでは、何ものかに従順にしたがうことでこと足れりとする「タテ型社会」が有効であるということだ。

ただし技術輸出が技術輸入をはじめて上回った1972=昭和47年度以降、そういった時代もすでに終焉し、これからは個人が創造性を自由に発揮することのできる環境を目指すべきだといった結論になる。これは本書の姿勢が広義の「近代化論」に乗っている以上、当たり前のもので格別言及するほどのものではないのだが、とりあえず本書でとりあげられた科学者たちの簡潔な伝記はなかなか面白い。

かの有名な「和魂洋才」という言葉がよくあらわしているように、日本は「科学」を「技術」と区分されるものとし、前者が包含するであろう世界観や文法といったものと切断したままで、後者を駆使しうると考えた。特に明治政府にその姿勢をよくうかがえるのだが、たとえばかのお雇い外国人として著名なベルツが次のようなことをいっている。

人々はこの科学を、年にこれだけの仕事をする機械であり、どこか他の場所へたやすく運んで、そこで仕事をさすことのできる機械であると考えています。これは誤りです。西洋の科学の世界は決して機械ではなく、一つの有機体でありまして、その成長には他のすべての有機体と同様に一定の気候、一定の大地が必要なのであります」(『エルウィン・フォン・ベルツ―日本に於ける一ドイツ人医師の生涯と業績』)

彼が「有機体」という比喩を用いているのは興味深いものがあるが──ちなみに日本においてスペンサーを経由した有機体説の発想は1934年=昭和9年「国防の本義と其強化の提唱」にも見られる──、逆にいえば有機体の部分としてのそれを本体から切断し、異邦にもってこれるようになったのは科学の変化なのである。

廣重徹がいうように、実は「科学の制度化」という観点からいえば当時の日本と西欧にさほどのラグはなく、19から20世紀にかけて起きた最大の科学の変化とは、「科学」はその背景や思想と別のものとして、それのみで移植もしくは享受できるようになったということ、いわば職人芸から誰もが駆使しうる「客観的」なそれと化したのである。それを広重が「科学の制度化」と相即するものとして討究したのはいうまでもない。なぜなら、これは科学がいかなる思想や世界観にも奉仕しうることを意味するがゆえである。

したがって実はベルツが進んだ科学論を説いていると思惟するのは転倒している。発想はどうであれ「和魂洋才」と唱えた、たとえば佐久間象山のほうが20世紀の科学をよく透徹しているといってよい。もちろん、悲哀もこめていっているわけだが。

そういったことを検討することなく、個人の創意と日本文化論のみで科学を論じるのは少々危なっかしい。しかしながら本書が近代日本科学史へのよい入門になることは間違いなく、たとえ単純な近代化論にのっていようと価値は高い。

★★★★☆
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