デュルケム、ゴッフマン、ガーフィンケル、ホッブズ問題:ランドル・コリンズ『脱常識の社会学』 | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

デュルケム、ゴッフマン、ガーフィンケル、ホッブズ問題:ランドル・コリンズ『脱常識の社会学』



ランドル コリンズ, Randall Collins, 井上 俊, 磯部 卓三
脱常識の社会学―社会の読み方入門』(岩波書店)

ランドル・コリンズは1941年アメリカ生まれの社会学者。「資格社会」なる概念を提唱した『資格社会―教育と階層の歴史社会学』(有信堂高文社)、“Credential Society: A Historical Sociology of Education and Stratification”が主著といえそうだが、かなり入手難で未だに未読。ちなみに




シャーロック・ホームズ対オカルト怪人―あるいは「哲学者の輪」事件』(河出文庫)

なる探小もものしているんだが、こっちも未読。要はランドル・コリンズを読んだのは今回がはじめてである。


さて本書は社会学の入門書としてすでにかなり評価されている一編だが、確かに訳文のよさもさることながら、社会学、政治学および社会思想の基本ともいえる「ホッブズ問題」を考える端緒になる。

彼はホッブズ問題が合理的選択理論により「合理的」には解決しえるものではないとし、それを考えるには「非合理的」なものによるひとびとの凝集が必要であるとする。つまり合理的に自己にとって最大の利益を獲得しようとするとき、「契約」を遵守するという選択は最善ではなく、仮にひとびとが完全に合理的であるならば、かえって「社会契約」は破綻するというのが本書の出発点となる。

そこで援用されるのがデュルケムである。社会学の教科書を見ればどこにでも書いてあるのだが、彼の社会変動論は均質な諸個人による機械的連帯と「市民」による分業を媒介した「有機的連帯」を区分し、前者から後者への「社会進化」を考えたわけだが(「物質的密度」「動的密度」をいかに考えるかにもよるので「社会進化」論的なものとみなすかは細かい議論があるかもしれない)、重要なのは、有機的連帯が分業による交換とその前提となる契約を基礎としながらも、公正な契約のためには契約以外のなにものかが必要であると考えた点である。

契約を遵守することは合理的選択に必ずしもかなうわけではない。したがって合理以外のなにか、端的にいえば非合理によって契約関係を維持することが必要になる。つまり連帯は確かに契約によるものかもしれないが、それは合理的選択或いは計算ではなく、かえって非合理的な感情などを駆動させることではじめて円滑に機能する。

本書はその契約を支持する非合理がいかなるものであるかを、ゴッフマン、ガーフィンケル、ウェーバーなどを用いながら説明してゆく。具体的には宗教、権力、犯罪、家族といった場面における「儀礼」の問題である。しかし本書の肝は1章と2章であり、それ以降は応用編といった趣である。前半部分100ページほど読めば、美味しいところはほぼ味わえる。

入門書である以上きわめて簡潔に書かれており、それなりに社会学などを読んできたひとにはものたりないところもあるのだが、とりあえず古典的な理論がどのように使われるのかのひとつの例として、本書から学ぶところは多い。これで興味が出たら、上記の思想家以外にもオルセン、パーソンズ、ホッブズ、ウェーバー、マルクス、フィリップ・アリエスなど進路はいくらでもあると思われる。

最後にひとつだけいうと、ホッブズやルソーなどがいう「社会契約」と、デュルケムがいうような「契約」とは区別される必要があると思われる。そもそもホッブズ問題とは、多数の諸個人のあいだでの同時的な合意、契約がいかにして可能であるかが問われるのであって、諸契約の集合が総体として「社会契約」になるわけではない。本書ではこれらの契約の差異については特に論じられることがないので、抽象度の違いがぼやけてしまっていることを意識しながら読んだほうがよいと思われる。

★★★★☆

Randall Collins
Sociological Insight: An Introduction to Non-Obvious Sociology