再生するほどのものがあるかどうか:乃南アサ『再生の朝』 | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

再生するほどのものがあるかどうか:乃南アサ『再生の朝』



乃南 アサ
再生の朝』(新潮文庫)

深夜、電波が入った20代前半の女性ジャンキーが高速バス内にて元彼の乗務員を殺害した挙句、運転手を脅迫し目的地とはまったく異なる場所へ向かうように指示するのだが、どこぞともわからぬ山道で崖に激突し、乗客たち12人は暗闇のなかで恐怖と生命の危機に脅えながらも、それまでの自分とは異なった新しい自分を見出してゆく。

タイトルどおりさまざまな人生を抱えた登場人物たちの自己発見がメインとなるのだが、まず彼らの背負っているものがさほど見えてこない。もちろん彼らがバスに乗り込むまでに多元描写を駆使し、それぞれの背景を読者へ提示するわけだが、そこに共感も同情もなく、ただのキャラ紹介に終わっているのが痛い。普通の探小ならそれでいいかもしれないが、とりあえず「再生」を謳っているのである。何が再生なのか、何からの再生なのかがもう少し迫ってこないことには始まらない。

しかし、電波によるバスジャックという側面もさほど緊張感を生んでいない。登場人物たちに筆を割いたことで、彼女の電波ぶりがぼやけてしまったからである。したがってどの点から読もうとも中途半端である感は否めない。それなりにバスジャックの行き着く先が気になったので退屈はしなかったが。

ちなみに「再生」に参加できない人間がひとりだけいるのだが、実に救いがなく、爽快であった。

★★★☆☆
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