『軍国太平記』の改題復刻:高宮太平『順逆の昭和史』と『昭和の将帥』 | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

『軍国太平記』の改題復刻:高宮太平『順逆の昭和史』と『昭和の将帥』

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高宮太平『軍国太平記 (中公文庫)

高宮 太平
順逆の昭和史―2・26事件までの陸軍 (1971年)』(原書房)

2・26事件へといたる日本陸軍の人間模様を描き、陸軍研究の基本文献とされる『軍国太平記』の改題復刻版。なにやら橋川文三の書籍のようなタイトルになり、内容がよくわからないが基本的に同一内容。[待望著しい一編であったが、とうとう中公文庫から復刻。快挙である](20100910加筆)。

作者の高宮太平は、『大正日々新聞』から侃堂・丸山幹治(丸山真男の父)の紹介で『読売新聞』へ入社。その後『朝日新聞』へと移籍した生粋の新聞人である。

彼が活動していた時期、新聞人という存在は「知識人」に類するものであり、いまとはまったく異なったカテゴリーに存在するといってよい。たとえば長谷川如是閑石橋湛山と立松和博などの差異を想起するといいかもしれない。

しかし高宮はそのなかでも特殊な位置を占める人物である。その理由は、彼ほど日本陸軍に深く分け入った新聞人が皆無であったという点に尽きる。彼が本格的に陸軍へ出入りするようになったのは、昭和5年前後、『朝日』にて陸軍担当記者になってからで、もともとは陸軍シンパでもなんでもない。ただ担当になった以上は、と勉強をはじめるのだが、書籍から学んだわけではなく、錚々たる面々に教えを請うのである。

杉山元のところに顔を出し、その志を認められると、まず高宮と同郷の松井久太郎──盧溝橋事件停戦協定、松井・秦徳純協定を結ぶ、後の北京特務機関長──をあてがわれ、始業前の時間を講義に割いてもらうこととなる。ときには杉山自身が演習や実戦について教授する。

さらに砲戦・兵器は植村東彦、軍制を永田鉄山軍政小磯国昭、戦争哲学を村上啓作に学ぶ。ちなみにこれ以前に高宮は、国際情勢について広田弘毅からみっちりと叩き込まれており、現代から見れば涎が止まらないような教授陣である。

こういった面々に毎日教わるのだから、陸軍に明るくなるのは当然のことながら、さらにそのなかでさまざまな人間関係を築いていったことはまちがいない。後の話だが、彼は日常的に軍機書類を読むことができたというが、そんな人物がものした一編が陸軍研究の基本書となるのは当然といってよいだろう。

『軍国太平記』は大正デモクラシーあたりから2・26事件までの鵺のごとき陸軍内の人間関係を活写することで、上原勇作に端を発する、いわゆる皇道派統制派の対立の起源からその実態、終焉までをよく描いている一編なのだが、そのなかで彼だけが個人的に知りえた情報を駆使しており──たとえば2・26事件時における真崎甚三郎邸での盗み聞きなど、いまでも十分に読むに値する。

しかし予備知識がない人間には、多数の人間が入れ替わり立ち代り登場する『太平記』はとっつきにくいといえるだろう。そこで、姉妹編ともいえる


昭和の将帥 (1973年)』(図書出版社)


を先に読むのも一興である。これは作者の死後に上梓された原稿で、死を悟った作者が印象に残っている軍人たちとの個人的な思い出を回想したものである。以下の人物ごとに各一章が割かれている。

今村均(ただし個人的な接触については描かれていない)
東條英機
小磯国昭
杉山元(ほとんど山岡重厚の話である)
荒木貞夫
林銑十郎
阿部信行
広田弘毅

死の前によくぞ書き残したといいたいくらいの興味深い挿話の連続で、資料を読みふけり、知人に取材してできあがった伝記とは一線を画するものとなっている。特に東條英機や山岡重厚についての回想はおもしろい。たとえばソ連でのドイツ軍の劣勢が明確になり、ガダルカナルでは日本人将兵たちが飢え苦しんでいるさなかの昭和18年1月、首相官邸での東條と作者の会話。


「戦さというものはね、山の上から大石を転がすようなものだ。最初の五十センチかせいぜい一メートルぐらい転がった時なら、数人の力でとめることもできるが、二メートル五メートルとなれば、もう何十人か何百人かでなければとめることはできない。それ以上になれば結局谷底まで、行きつくところまで行かねば始末はつかないのだよ」
「不吉なことですが、こんな調子ならトコトン敗戦まで行きはしないでしょうか」
「そうさせたくないが・・・もしかすればそんなことになるかもしれない」
 沈痛な面持である。それなら早く手をあげなさいとは、どうしても言えなかった。



 
東條だけではなく、高宮にも突っ込みたいところではあるがそれは措き、こういった気弱な東條の言を引き出し、しっかりと後世に残したことは賞賛に値する。軍事関係の回想は、眉唾物が多いのだが、極めて第三者に近かった高宮のものはそれなりに信用できるかと思われる。彼の個人的な思い出を読みながら、次第に2・26までの陸軍の人間模様に慣れることができるのもうれしい。

それに特筆すべきは、この書物が『軍国太平記』に比べて格段に文体が洗練されたことで、どちらかというとごちゃごちゃと読みにくかった前者とは大違いである。その意味でも『昭和の将帥』は推奨に値する。

ちなみに下士官クラスに関してはまったくといっていいほど触れられていないので、2・26を考えようと思ったらこれだけではまったくお話にならないのはいうまでもない。とりあえず筒井清忠『二・二六事件とその時代―昭和期日本の構造』(ちくま学芸文庫)あたりが、面白みには欠けるが参考になるはずである。

『順逆の昭和史』★★★☆☆
『昭和の将帥』★★★★☆
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