中島 岳志『中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社) | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

中島 岳志『中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社)



中島 岳志
中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社)

インド独立運動の革命家ラース・ビハーリー・ボースの生涯を描くことで、「アジア主義」なるものを素描してゆこうと試み。

インドでの実地調査、奇跡的な資料発掘(最終章にその様子が述べられている)などもさることながら、本書が単なる歴史的な人物への関心に由来するのではなく、作者の青春そのものとして書かれたことが一読するだけで伝わってくる情熱の一編である。このことだけでも評価に値する。

思想史的にいうならば、ボースといういままでカレーの伝達者くらいの認知でしかなかった人物が日本における「アジア主義」に関係していたことを確認し、明治以来「アジア主義」がはらんでいた問題を再考することができる有用な書籍である。

日本における「アジア」とは、侵出してくる西欧列強に対抗するための戦略的・政略的観点から明治期に新たに発見された空間であり、逆にいえばそのかぎりにおいて「アジア」は問題とされる。確かに植木枝盛のように天賦人権を基礎とした「アジア」解放論も存在したが、それはごく少数に過ぎない。

むしろ西欧への抵抗に寄与しえないような「アジア」は、「アジア」においてもっとも「先進」である空間と「連帯」すべきだという論調が基本である。それが実質的に「併合」を意味することはいうまでもない。したがって「アジア主義」とは、近代化論を前提とした抵抗の原理であり、少なくとも日本が「先進」であったがゆえに提唱されたそれであることを意識すべきである。

さて、インドは明治期の日本において、そして太平洋戦争まで「アジア」ではなかった。逆にいえば太平洋戦争により「アジア」として発見されはじめてインドの独立は日本における焦眉の問題と化すのである。もちろん理念や思想のそれではない。あくまで戦略・政略的なものである。

したがって「アジア主義」とは、発見された「アジア」にとっては極めて厄介な代物である。それは何かの理念ではなく、西欧からの戦略・政略拠点としてあくまで即物的な観点から「独立」を求められたのである。

だからこそ「アジア」をめぐるボースもさることながら京都学派やアジア主義者たちの言説は胡乱である。そして後者はおくとして、ボースが悲惨であったのは、「発見」された「アジア」においてのみ日本はインドの味方であることで、いわば彼は祖国を「アジア」と化さねば独立させることができないという矛盾に落ち込んでいた。彼が次第に衰弱してゆくのも当然である。

われわれは現在一部ではびこるの空疎な論調を拒絶し、太平洋戦争が「アジア」をいかに発見したかを考えねばならない。本書におけるボースの生涯を読むことで、かつてこの国が「美しい国」であったのかを考えることができる。

★★★★☆
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