「えぞ共和国」:藤本泉『針の島』 | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

「えぞ共和国」:藤本泉『針の島』



藤本 泉
針の島』(徳間文庫)

「えぞ共和国」シリーズ第四作目の本書は、東北の孤島を舞台にしている。毎年発生する神社へと通ずる急な石段からの墜死。被害者が残した「ぎゃくの…くすり」という謎のダイイング・メッセージ。「本土」から派遣された新米刑事を笑顔で迎えつつ、密かに遠ざける村民たちの不可思議な態度。刑事にもたらされる死の予言。さらに底に流れる悪意とまではいかない何ともいえぬ微妙な違和感が、作品の雰囲気をみごとにまとめあげている。

もはや藤本の作品を、「周縁が中心を撃つ」といった理論で解釈するのは陳腐に過ぎるだろう。そもそも「国民国家」の走狗である刑事を、表面的な笑顔や虚言、沈默ではぐらかしてゆく「針の島」の住人たちは、たとえば毛沢東のように「周縁」から「中心」の奪回を目指しているわけではない。それでも、ただただいままでと変わりなく「中心」に併呑されることない「周縁」たらんとすることで、その島は「中心」にとってつねに「針」なのである。

探小的にいえば、ダイイングメッセージとhowdunitに興味が集まるといえるが、それよりも底知れぬ「島」に圧倒されながら、余人にはうかがい知れぬその「伝統」に驚きと畏怖を感じるというのが、率直な読後感だろう。探小として、それほど何かがあるわけではない。

ただし「畏怖を感じる」といっても、息をするのが苦しいくらいの圧倒的な作品であるにもかかわらず、被差別「部落」を扱ったがゆえに乱歩賞を逃した『地図にない谷』(徳間文庫)などに比べて、本書は共同体の空気をあまねく充溢させたとはいいがたく、その点ではやや不満が残る。

現在、入手可能な藤本の作品は乱歩賞受賞作の『時をきざむ潮』(講談社文庫)だけだが、もう少し読まれてもいい作家なのではないだろうか。まあ彼女の作品をおもしろがれる人が、あまりいないことは間違いないのだが。

初版:1978・10 カッパノベルス
★★★☆☆