日本における陪審制とは:和久 峻三『陪審15号法廷』 | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

日本における陪審制とは:和久 峻三『陪審15号法廷』


陪審15号法廷』(角川文庫)

日本で法廷ものがあまり書かれないのは、陪審制がないためだと先日知人と語ったが、では逆に陪審制があったならば法廷ものは隆盛を迎えるのだろうか。ここのところ陪審制導入に向けて議論が活発になってきているが、実は日本ではすでに陪審制が実施されていたのである。昭和3年=1928年から18年=1943年にかけて、日本でも陪審制による裁判が行われていたのだ。

本書は昭和4年に舞台を設定し、法廷内での証人射殺事件を絡めて陪審制法廷ものに仕上げた一編である。

放火殺人の罪に問われた被告のアリバイを主張するはずの証人が宣誓中に射殺されるが、銃声もなければ拳銃も法廷内から発見されず、謎を残したまま法廷は展開してゆく。被告の有罪無罪よりもむしろこの消えた凶器の方に探小ファンなら気にかかるところだが、あまりに定跡過ぎるトリックには失望させられた。

法廷の展開自体も、さる有名法廷ものを読んでいれば一発で落ちがばれるような代物で、これは安直といわざるをえない。

しかし日本における陪審制を詳細に説明するために、若かりし頃にその裁判に立ち会った老弁護士と女子大生の対話というかたちで予備知識を注入しつつ、準備も整ったところで法廷の客観描写に移行するあたりなかなかの親切設計で好感がもてる。随所に不明な点が出てくる本書のような主題では、説明がダラダラと垂れ流しになるよりも、少々野暮ったいこの構成のほうが好ましいといえる。

概して探小的には平凡だが、陪審制についての知識を得られる点だけでも、それなりに評価できる一冊である。

初版:1989・2 双葉社
★★★☆☆
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